【那須平成の森×山水閣】皇室ゆかりの清森亭へ!紅葉が見頃のプレミアムガイドウォーク◆2024年10月20日&11月3日実施◆
那須平成の森の協力のもとに実施の運びとなったこのプランの10月の開催まであと3週間となりました。インタープリターさんの豊かな知識がこのガイドウォークの魅力の一つです。そして、このガイドウォークでは平成の森の敷地内にある、御休所である清森亭でコーヒーと共に一休みして「森の歌会」を予定しているのですが、今日はこの清森亭のお話をお届けします。
「空晴れてふりさけみれば那須岳はさやけく聳ゆ高原(たかはら)のうへ」
この歌は昭和63年の夏に那須御用邸に滞在された昭和天皇が詠まれたものです。
このガイドウォークプランの実施で、下見をする機会と、プランに同行する機会を得て、
2回ほどですが、清森亭から那須連山を眺めることができました。
那須連山はどこから見ても美しい山だと思うのですが、毎日山を眺めている、那須の人々はそれぞれにお気に入りの見るスポットがあるのも確かです。
しかし清森亭から見る那須連山と稜線の美しさは別格でした。
よくぞこの場所にこの御休所を建てたものだと、驚きと感動を覚えたものです。
そして、昭和天皇はこの夏の滞在から約半年後の昭和64年1月7日に崩御されました。
こちらは(読売新聞オンライン2021/10/07)に掲載された記事です。
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昭和天皇の侍従長だった入江相政(いりえすけまさ/1905年〜1985年)は歌人、随筆家でもあった。彼が編纂した「宮中侍従物語」に、こんなエピソードが残されている。昭和天皇が栃木県・那須御用邸に滞在中、職員が皇居・吹上御所に生い茂った草を刈り取った。帰京後に「どうして刈ったのか」と問われ、「雑草が……」と入江が答えると、思いがけない言葉が返ってきた。「雑草ということはない」。すぐには理解できずにいると、昭和天皇は続けた。
「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草と決めつけてしまうのはいけない」
最後に御用邸で記者とお会いになったのは、昭和63(1988)年9月2日。その場に、私もいた。突然の開腹手術から1年、数日前に発熱したと聞いていたのだが、「風邪は良くなったから安心してもらいたい」と思いのほかお元気のようだ。那須の感想を求められると、「植物のことを深く知ることができ、うれしかった」と表情が緩んだように見えた。
那須は皇室とのゆかりが深い。明治の華族は那須野が原に農園を開拓し、栃木県令を務めた三島通庸(みちつね)は大正天皇に別邸を献上した。昭和天皇も皇太子時代にこの地を旅し、那須連山の稜線(りょうせん)が青空に浮かぶ眺望に魅せられたという。御用邸の竣工は大正15(1926)年。敷地の半分が環境省に移管され、10年前、那須平成の森が一般公開された。初秋の那須は澄んだ空気が心地良く、熊よけの鈴を鳴らしながら歩いていると、昭和最後の記憶がよみがえってくる。昭和天皇はやはり風邪ではなかった。帰京直後に体調を崩され、私の宮内庁に泊まり込んでの闘病取材は111日に及んだ。翌年の1月7日、昭和終焉の日も記者クラブで迎えることになった。
学者との共同研究「那須の植物誌」(生物学御研究所編)には1617種の植物の名前が記録され、昭和天皇が序文を寄せている。
「那須に来ると、いつも私は自然が生きているように感じる。動物や植物が、いつまでも静穏な環境の中で、その生を営むことができるように祈ってやまない」
33年ぶりの那須の森には、昭和天皇の思いが今も息づいていた。
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清森亭から見える那須連山が一番好きな景色だったかもしれないと想像すると、より一層美しく見えます。
是非、この機会に那須の豊かな森と清森亭を体験してみてはいかがでしょうか。
プラン詳細はこちら!
【那須平成の森×山水閣】皇室ゆかりの清森亭へ!秋の森へ!紅葉が見頃のプレミアムガイドウォーク◆2024年10月20日&11月3日限定◆(山里懐石一泊二食付)
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予約受付は実施日の1週間前までとなりますのでお気をつけください。
0287-76-3180(9:00~21:00)
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